文量に圧倒され、内容に圧倒され、考えがまったくまとまりませんが、 大切なことなので絞りながら書いてみようと思います。
引用はすべて上記の「シリコンバレーのエンジニアが語る、誰にも悪気はなかった話」より。
ただただ驚くばかりの大失敗
貧困の連鎖を止めようとしたら、子どもの学力が下がりました。 働き方から変えよう、地方から変えようとしたら、何も変わりませんでした。
大きな変革に必要なのは、「お金」と「人材」だと思っています。 それが全てという意味ではなく、私が思いつく大きな条件がその2つです。
ニューアーク市の教育改革では、2億ドルの寄付があり、 ブッカー市長を始め優秀であることに疑いがなく情熱もある人材が集まっていたと思います。
それでも、ここまでの大失敗になってしまったという事実にただただ驚いています。
仕組みに拘ることの弊害
ただ、ザッカーバーグの動機は、チャンのように「子どもたちの可能性を広げたい」といった純粋なものではなかった。 根っからの起業家の彼は、チャンの言葉を「仕組みの問題」として聞いていた。
つい昨日、小金井市の女子大生刺傷事件の被害者手記 を読んで、警察の対応について妻と話したことを思い出しました。
「担当した警察官がやる気がないわけではない。組織の仕組みに問題があるはずだ。」と言った私に対して、妻は
「でも、その仕組みを作っているのは人間だよね。」
と言いました。私は仕組みにだけ拘って、人間のことを完全に忘れていたように感じ、反省しました。
ニューアーク市の件でも、ザッカーバーグは仕組みが変われば人が変わるはずだ、と考えていたようです。しかし、それは同時に関わっている人間を軽視することにもなったのではないかと思っています。
私たちエンジニアの仕事は「仕組みを作ること」ですが、仕組みの前にも後ろにも常に人間がいることを決して忘れては行けない。そう改めて思いました。
フィンランドから学ぶべきことは
そのフィンランドの教育学者・パシ・サールバーグ氏が著した本「Finnish Lessons」によると、フィンランドの教育が成功した最も大きな理由は、すべての政党が40年近く、教育を政府の最重要課題に指定したからだという。
フィンランドでは、教育レベルが低迷していた1970年代から、20以上の政権が生まれ、約30人が教育大臣を務めた。だが、全政権・全教育大臣が「公教育の質を向上させよう」と目線を合わせ、教育行政の方向性が安定していた。
教育を変えるには時間がかかるということを、フィンランドは政治と行政レベルで理解していたのだ。世論に揺さぶられて「ゆとり」と「詰め込み」を行ったり来たりし、英語教育やICT化で右往左往する日本の教育行政とは大違いである。
話は変わって、有名なフィンランドの教育の話。
大きな改革では、敵対せず協調するのが理想だと分かっていても、なかなかうまく行かないことが多いと思います。
20以上の政権、約30人の教育大臣が40年近くにわたって共通認識を持っていたことに驚くばかりです。
教育の仕組み以前にフィンランドの人たちから学ぶべきことがたくさんあるように思います。
1ミリでもいい。動かすことが必要だ
ヤフーニュース個人の「オーサーアワード2016」を受賞された、社会活動家で法政大学教授の湯浅誠さんは、 子どもの貧困対策を「1ミリでもいい。動かすことが必要だ」と説いている。
「1ミリでもいい。動かすことが必要だ」 という言葉は決して忘れないでしょう。
この言葉に出会ったということだけで、この話を読んだ2時間も読みふけった価値があると感じます。
最後に
偶然時間に余裕のある時期に、「シリコンバレーのエンジニアが語る、誰にも悪気はなかった話」に出会うことができ、筆者の上杉周作さん、この話の元になっている「The Prize」の著者であるDale Russakoff氏は大変感謝しております。
自分のメモ用の殴り書きですが、もし読んでいただいているとしたら、この場をお借りして感謝の意を贈りたいです。